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マーベラス・ミセス・メイゼル シーズン1の疑問と感想。ミッジに振り回されっぱなし

今年初の海外ドラマ鑑賞は「マーベラス・ミセス・メイゼル」でした。

Amazonビデオのオリジナルコメディドラマ。

2019年1月現在シーズン2までプライム対象になっています。

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以下、シーズン1の感想です。

ネタバレを含みますのでご注意ください。

【ミセスメイゼルの良いところ】ファッションが楽しい

舞台は1958年のニューヨークシティ。

主人公である「ミッジ」ことミリアム・メイゼル(レイチェル・ブロズナハン)は裕福な家庭に育ち、大学卒業後すぐジョールと結婚。二人の子供も産まれて何不自由なく専業主婦生活を満喫していました。

パイロット

1950年代のレトロな街並みもさることながら、目を引くのがミッジのファッション

ワンピースやコートがカラフルで、エレガントに帽子や手袋を身に付けた装いに惚れ惚れしてしまいます。

ミッジは金銭的に余裕のある暮らしをしているので、毎回どんなコートを着ているかエピソードのたびに楽しみがあります。

さらにミッジだけでなく、ミッジの母親であるローズのファッションや家の内装も素敵で、画面がとても華やか。

また、ミッジが外出するときだけでなく家でくつろいでいるときの服装もとてもキュートなのでワクワクしてしまいます。

【疑問】ミッジを装飾するための記号にしか見えない子供たち

先の項でも書きましたが、ミッジは裕福な家庭に育ちました。さらにジョールや子供たちと暮らす住居は、両親が暮らすマンションのひとつ下の階です。

エレベーター係やドアマンはもちろん、両親が暮らす階にはお手伝いさんのゼルダも常駐。

時代性なのか文化なのかわかりませんが、ミッジが自分で子育てに奮闘するような描写は一切ありません。子供はまだ小さく、上のイーサンは3歳くらい(多分)、下の娘はまだ赤ちゃんです。

子守をいつも実母のローズかメイドのゼルダにまかせて、一人で自由に出歩いているミッジ。

最初のほうは、生活感がないのもまた新鮮というか、お気楽なおとぎ話めいていていいかもしれないなぁと鑑賞していたんですよ。現実味のないトレンディードラマみたいな。

しかし第3話”Because You Left(あなたは去った)"あたりから違和感が生じました。

ジョールが去ってからというもの、朝に目を覚ますとじっとミッジを見つめている息子のイーサン。ミッジは友人に相談します。すると、スポーク博士の育児書は絶対読むべき、と勧められます。

その後、夜のジャズクラブでスタンダップコメディの舞台に立つミッジ。

そこで息子の話をし、育児書をバッグから取り出して「自分自身を信じなさい」というアドバイスに反発してみせます。

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子供たちの写真を常に持っていない自分、子供の気持ちがわからない自分は母親失格なの? と疑問をぶつけます。

ミッジの持ち時間が終わっても、エピソードが終わっても、この疑問に答えは提示されません

ミッジはそもそもイーサンと向き合って話を聞こうという姿勢がありません。少なくとも、ドラマの中ではまったく描かれません。視聴者が知っているのは、実家の両親の部屋にあるテレビの真ん前でじっとテレビを凝視するイーサン。テレビを消すと大声をあげて抗議するイーサン。親子間どころか、両親やゼルダとさえ交流しているかも謎の存在であるイーサン。このドラマで一番不幸なのはミッジでもジュールでもローズでもなく、イーサンではないかと思うくらいの孤独っぷりです。

ミッジは「二人の子供がいる専業主婦」「スタンダップコメディアン」というまるで水と油のような性質を併せ持つ人間として描かれています。どちらかひとつだけでは意外性が低くなりドラマとしての面白さも薄れてしまう、それもわかります。しかし子供との交流があまりに描かれないので、こちらからは「母親」や「専業主婦」の側面があまり読み取れないのです。実家に帰ってからは気ままな暮らしをするティーンエイジャーにしか見えません。26歳という設定ながら、見た目もすごく若いし。

これからのシーズンで、子どもたちとのやりとりがもうちょっと描かれるといいなぁ。

スタンダップコメディの凄さがいまいちわからない

ミッジがダウンタウンのクラブ「ガスライト」で披露するスタンダップコメディ。初めて立った舞台で観客に大いに受け、スージーに才能を見出されるわけですが、スタンダップコメディを理解していないと凄さがいまいちわかりません。異国の笑いを理解するためには言語と文化に明るくなければいけません。残念ながら、私は日本語しかわからないのでミッジのすごさがよくわからないんですよ。

ミッジのスタンダップコメディは、酔っぱらってわざと汚い言葉でキレている人にしか見えませんでした。

でもドラマのなかで「すごい才能だ!」と言われているなら、その設定を受け入れましょうという感じで鑑賞。理解できていればもっと面白さがわかるんだと思います。

あと気になるところ。

スタンダップコメディに対するミッジの本気度がいまいち見えてこないんですよね。

ミッジが求めているものが、スポットライトと拍手喝采を浴びたときの恍惚感なのか、話術で誰かを笑顔にしたときの達成感なのか、単に自分の私生活に関する疑問や愚痴を大声で言うだけなのか。

スージーとタッグを組みながらも、笑いに関する追及や反省などを具体的に行わないのも疑問です。いつも時間ギリギリにあらわれて、予定にないネタをやって訴訟沙汰になるミッジをスージーが見捨てないのも不思議。もっとちゃんと打ち合わせしようよ。

大物コメディアン ソフィ・レノンを裏切ったのは何故か

第7話"Put That On Your Plate!(よく味わいな)"でミッジが出会った大物コメディアンのソフィ・レノン。同じ女性コメディアンとして親しみを感じたのか、「あなたのことをよく知りたいわ」とソフィはミッジを自宅に招きます。

大きな身体をゆすりながら「クイーンズのおっかさん」的なネタをやる見慣れたソフィの姿はどこにもなく、贅の限りを尽くした豪邸でミッジを出迎えたのは肉襦袢を脱いだゴージャスな女性でした。

ミッジは目を丸くしながらも、お茶のテーブルにつき進められたマカロンを口に運びます。それを「本当に食べちゃうなんて」とソフィーに冷笑されて委縮するミッジ。

ミッジがコメディアンをやっていくにあたって、「自分自身をネタにするのはおすすめしない」と自分の来歴を語るソフィ。大学で演劇を専攻したソフィは、考えに考えて今の巨体女性コメディアンの唯一無二な地位を確立したのでした。

ちなみに、ソフィが実はほっそりしていて裕福な暮らしをしていることはマスコミにはお金を握らせて秘密にしているとのこと。いや、あれ見るからに肉襦袢でしたよね…。顔にはほとんどお肉ついてないし。腕も足もほっそりしているの丸わかりだし。もうちょっといいスーツ作ったほうがよくないですか。むしろ観客が誰も疑わないのが不思議なくらい。でも1950年代なら仕方ないのかな…。

自分自身のことを語りたいミッジと、架空のキャラを貫きたいソフィ。どちらの道も間違っていないし、コメディアンの数だけコメディの種類も存在するのではないでしょうか。

しかしその夜、ガスライトでミッジが披露したのはソフィのネタ。伏せ字もなにもあったもんじゃありません。名前をがっつり呼んでソフィが生涯隠し続けている私生活を暴露。観客には大うけしましたが新聞沙汰になり、レニーやソフィと決裂してしまいます。スージー完全に被害者じゃないですか。相談もなしにそんなことされて。

うーん、ミッジは何故そんなことをしたんでしょう。ドラマの展開としてはわからなくもないんですよ。大物に盾突いて壁を作り、それを越えさせる。でもミッジの心情がわからない。マカロンを食べて冷笑されたのがよっぽどカチンときたとか? 「女であることは捨てるべき」と方向性の違いを否定されたのがイラっとしたとか?

なんにせよ、ミッジが単にむしゃくしゃしてやった、だけにしか見えなかったのがちょっと残念でした。

もし、ソフィがとっても優しく、物腰も柔らかくミッジを迎えて話をしていたなら、わざわざソフィを敵に回すようなネタはしないと思うんですよ。

シーズン2も引き続き視聴してみる予定ですが、ミッジの身勝手さに耐えられるかどうかがわりと肝かもしれない。